企画展・特別展

湖北長浜“秀吉伝説”-長浜曳山祭の源流を探る-

 長浜曳山祭のはじまりには、天下人“豊臣秀吉”の男子誕生にまつわる伝説が今も人々によって語られています。長浜のマチをおこし、今日の発展のいしずえを築いた秀吉は、長浜の町衆にとって最も馴染みの深い歴史上の人物なのです。秀吉が長浜城主であった時期はわずか8年ほどにすぎないのですが、それでも長浜には秀吉の足跡が数多く残され、今もその威徳をしのぶ声が聞かれます。
 長浜市曳山博物館では、今年開館10年目を迎えるにあたって、長浜曳山祭創始の根幹をなす、秀吉の長浜での業績にスポットをあてた展示「湖北長浜“秀吉伝説”-長浜曳山祭の源流を探る-」を企画いたします。秀吉の湖北長浜での人々との関わりがどのようなものであったのかを、市指定文化財2点を含む17点の歴史資料を通じて広く知ってもらうと共に、長浜曳山祭にかける長浜町衆の情熱が、秀吉伝説をどのようにして醸成していったのか、その一端を感じていただければ幸いです。

企画展情報

開催期間:
平成22年10月30日(土)から平成23年1月11日(火)まで
会場:
長浜市曳山博物館1階および2階企画展示室
開館時間:
9時~17時(入館は16時30分まで)
入場料:
大人600円 小人300円(20名様以上の団体でご入館の場合は各2割引)

問い合わせ

〒526-0059 長浜市元浜町14-8(長浜市曳山博物館)

TEL:0749-65-3300 FAX:0749-65-3440

1.特別展開催記念講演会「秀吉の祖先祭祀と宗教政策-母系の家としての羽柴家-」

【開催日】平成22年11月14日(日)午後1時30分から 

【会 場】長浜市曳山博物館伝承スタジオ (入館料で聴講いただけます) 

【講 師】河内将芳 氏(奈良大学文学部教授)

2.写真パネル展「長浜市曳山博物館10年のあゆみ」

【期 間】平成22年10月30日(土)から平成23年1月11日(火)まで

【会 場】長浜市曳山博物館1階企画展示室(入館料でご覧いただけます)

主な展示資料

①懸仏(かけぼとけ)

直径50.5㎝
天正9年(1581)奉納
舎那院蔵

懸仏は、円形の銅板に立体的な像を取り付け、壁などに吊り下げて拝礼したもので、平安時代から江戸時代頃まで盛んに制作され、寺社に奉納された。この懸仏は、裏面の墨書から、秀吉が長浜城主時代の天正九年に長浜八幡宮に奉納したことが判明しているが、そこには「御れう(寮)人甲戌歳 奉寄進御宝前 息災延命」などと記され、秀吉が自分の子息の健康を祈願してこれを納めたことがうかがえる。長浜で秀吉に実子が生まれたという事については諸説があるが、長浜曳山祭の創始伝承には、秀吉が男子誕生を祝って長浜の町衆に金を配ったことが伝承としてあり、この懸仏は伝説と史実とを結ぶ重要な資料である。

②長浜町惣中宛(ながはまちょうそうちゅうあて)
羽柴秀吉朱印状(しゅいんじょう)

長浜市指定文化財
縦30.5㎝×横45.0㎝
(無年・天正12年〔1584〕カ)卯月十四日
長浜城歴史博物館蔵

秀吉が長浜町の町衆(惣中)に宛てた手紙で、小牧長久手の戦いで秀吉が徳川家康と対陣していた折に、長浜の町衆が陣中見舞いにと名物の鮒鮨を送った事に対する返礼の内容がつづられている。当時秀吉は天下人への道をまい進していたが、長浜城主時代の領民たちとの交流がなおも続いていた事をうかがわせる資料である。秀吉の朱印が捺された書状で、長浜市指定文化財となっている。

③「豊国(ほうこく)大明神(だいみょうじん)」
神号(しんごう)

豊臣秀頼書

縦65.0㎝×横24.4㎝
慶長7年(1602)
長浜八幡宮蔵

豊臣秀吉の子秀頼が10歳のときに書いた「豊国大明神」の神号。この神号が書かれた慶長7年は関ヶ原合戦から2年後であり、当時は徳川家の台頭によって、天下の情勢がもはや豊臣家に有利ではなかったことが知られている。この神号はそうした状況下で豊臣家から秀吉ゆかりの長浜八幡宮に下賜されたとみられるが、その背景には、豊臣家がその威信を天下に示すために寺社勢力に接近していった様相が推察される。

④豊臣秀吉像
山縣岐鳳画(やまがたぎほうが)

縦104.7㎝×横41.1㎝
江戸時代後期
萬歳樓瀬田町組蔵

束帯を模した衣装姿の秀吉を描いた絵像。萬歳樓瀬田町組に伝来するもので、例年曳山祭の際に御幣を迎える御幣宿に掛けることが瀬田町組のならわしとなっており、曳山祭に携わる町衆の秀吉への思慕の念がうかがえる資料である。この絵を描いたのは絵師の山縣岐鳳(1802-1847)で、岐鳳は長浜に寓居しながら絵筆をふるい、大通寺山門の天井絵のほか曳山の舞台障子などの装飾も数多く手がけている。